あしたの私のつくり方とは
色々な映画には色々なバランスがある。
受け手側がどこまで、読解力を高めていくか、感受性のアンテナをどこまで伸ばすか。
例えば特攻野郎Aチームみたいなアクション映画は物語が勝手に進んでくれて分かり易く、頭の中が128kbpsの通信制限的な感じ方でも容易く楽しめます。
それが悪いとは言いません。それはそれでとても良い映画だと思います。
逆に、2001年宇宙の旅みたいな映画はアンテナ感度MAXにしてストーリーを見つつ
頭の中はぐるぐる受け取ろうと必死になるわけです。
所謂"難しい映画"と言われる部類で良く言えば"深い映画"と評価されます。
一般的には映画と言うのは分かり易く、「最後はこうなるんだよ」と答えを出して物語を完結させてあげるのが多いですが
これだ!と言う絶対的な答えが無い映画は世の中に沢山あります。
ふわっと輪郭だけ描いて後は勝手に想像して~みたいな感じ。それはそれでありですが(^^)
またどの角度から映画を観るのか?でも印象は変わります。
好きな俳優が出てるから・スカっとしたいから・みんなみてるから
理由は様々です。
知り合いの方で『この役者はどんな想いでこの役を演じているのか?』と言う観点から見る方が居てその方の観方は興味深いものがありました。
前置きが長くなりましたが、
先日、あしたの私のつくり方と言う邦画を見ました。
Amazonレビュー
2007年4月に公開された、成海璃子主演、前田敦子(AKB48)共演の友情ムービー。原作は、真戸香による同名の小説。現代の少女たちの“ライフライン”ともいうべき携帯電話を介してふたりの女子高生が自分らしさの再生をめざす物語で、ともに不器用な彼女たちの姿がたまらなくいとおしい。ついつい“いい子”を演じてしまう寿梨(成海)と、クラスで無視されている日南子(前田)。立場は違っても、“あるべき自分”に戻りたい気持ちは同じで、現実と虚構の距離感に悩む辛さは、大人にも大いに共感できるところ。ヒロインたちと同年代ならば等身大のストーリーとして、また、もう少し大人ならば、今一度“自分のあり方”を見つめ返してみたくなるさわやかな作品。市川準監督ならではの、やわらかさの中に凛とした冴えのあるタッチが際立っている。
おもしろいと言う定義は人ぞれぞれ違うと思うけど、この映画は決して物語が引っ張ってくれる面白い話では無い。
映画らしい事が起こらない映画と言った感じ。
先ほどの映画のバランスで例えるならば受け手側のパワーと言うか集中力が必要な映画だと思う。
でも
だからクソつまんね~よ、退屈だよ。
って感想に着地する映画でもない。
他人の心に居る自分はどんな人格か。
自分の人格の一部を切り取り、切り取った人格で人に関わるのか。
切り残され、残った自分は何者か。
ロジックじゃ難しい部分をズバズバついてくる感じ。
高校生の頃に出会っていたらまた感想も変わったのだろう。
こんな事思ってたなぁと言う感想は大人になったのか、何かを諦めたのか、余裕が出たのか。。
最後に。携帯のシーンが邪魔になる程懐かしかった。。。